No Good Deed


もう治らない患者さんをみるのが辛くてなんとなく病室から足が遠のいてしまうことがあります。淡々としてる、ちょっと冷たい、と思われても仕方ないと思います。でも何もできないことが申し訳なくて後ろめたくて、患者さんも患者さんの家族もいつもお礼を言ってくれたりしても本当はそんなこと思ってないんじゃないかとか勘ぐってしまったりします。すごく失礼にあたるかもしれませんが・・・。


現代の医学ではもうどうしようもない病態に直面したとき、感じるのは「無力」ばかりです。医師免許を持っていても、あらゆる薬を使えたとしても、指をくわえて見ていることしかできない。自分の、医者の存在意義に疑問を持ってしまう瞬間です。


もちろん医者の存在意義は実際に病気を治すことだけではないのは分かっています。たとえば私の場合は家族と同じくらい近くにいる医者、何でも話せて信頼できる医者・・・主治医の先生はそんな人がいいなぁ=じゃあ自分がそうなろう!という気持ちで当初はいたのですが、あまり親身になりすぎると客観性も失うし途方もないエネルギーを必要としてしまい、結局色々うまく回らなくなってしまうことにも気づきました。「お前は家族じゃない、医者なんだ。プロに徹しろ」と上級医に言われたこともあり、親身になりすぎてしまうことが怖く、無意識のうちに適度な距離を保とうとしてしまうのかもしれません。でもほんとはそれはこちら側からもちょっと寂しいですけどね・・・。どれだけ距離を縮めても自分が揺らがないくらいくらいもっとしっかりした医者になりたいものです。でもとりあえず、自分には担当患者さんが複数いるけど個々の患者さんの担当医は私一人だとか、毎日のようにオペがあるけど個々の患者さんにとっては一生に一度のオペかもしれないとか、そういうのは忘れないようにしてます。後はその患者さんが「病気を治してくれさえすればいい」と思ってるのか、「色々話も聞いてほしい、心のケアもしてほしい」と思ってるのかを探る、とか・・・


・・・まぁ3年目のペーペーの私の場合“そんなこと”より知識と技術をもっと身につけなきゃいけないわけですがorz ←握力なくて自動縫合器を片手でファイアーできない人